米原万里「ヒトのオスは飼わないの?」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

ヒトのオスは飼わないの? (文春文庫)

ヒトのオスは飼わないの? (文春文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

米原万里が止りません。
「ヒトのオスは〜」は犬猫についてのエッセイ集です。読んでる最中に実家で飼ってた猫の訃報が入ったのは、偶然なんですが、こういう偶然に因果関係を見出したがるのもヒトのサガってものです。犬猫はヒトより圧倒的に寿命が短い訳でして、こういう本には当然ながら死にネタ別れネタはあるものだし、当然ながらしんみりしちゃうです。やっぱり猫は(わたしは猫以外のペットを飼う予定も能力も欲求も持ち合わせてないので、これはペットはってのと同義)死に別れるから飼いたくないや、と、うわー猫欲しいよ一緒に住みたいよ猫のいない暮らしは非人間的だよ、という気持ちが、同じ強さで、それも相当大きい強さで押し寄せてきたです。
でもなー。ある種のヒトのオスは多頭飼いがことのほか困難であったりすることもあるわけなのです。
わたしは5分でも時間があれば本を読みたいという活字中毒なので、いつでも本をお供に出勤です。その分切り替えは身についていて、推理小説で探偵が「さて」と言った所で休憩時間が終わってもぱっと本を閉じて仕事に戻れると自負してたのですが。「嘘つきアーニャ〜」では、大きな声では言えませんが休憩時間を自主的に延長してしまいましたよ。
プラハソビエト学校に通う「マリ」と同級生たち、そしてその30年後の再会という自伝とも言えるかもしれないドキュメンタリーなんですが。米原万里の訃報を、同姓同名ってこともあるし、みたいにスルーしていた一因を見つけた気がします。このひと心が若い。ソビエト学校で小学生してた「マリ」にも増して、30年後の大人になった筈の「私」は、瑞々しくて理屈っぽいとこもあっておっちょこちょいで純粋ですっごい魅力的なのです。