【ネタバレ】映画『グスコーブドリの伝記』に納得いかない件

絵はきれいだし、音楽も素敵。全体的な雰囲気もよく再現してると思うし、セリフ回しも良いし、それぞれに声もはまってると思う。ブドリが何かにつけて「はい」って返事するところ、原作には書かれていませんが、これなんか脚本ちょーぐっじょぶな感じ。
でも、そこを変えるのは納得いかないんだよって話です。
以下、原作と映画の両方のネタバレですよ。
グスコーブドリの伝記」というのはタイトルまんまで、グスコーブドリという人(映画だと猫ですが)の伝記の形をとっているお話です。グスコーが姓で、ブドリが名前らしく。ブドリは飢饉で両親を亡くして妹とも離れ離れになるのですが、様々に苦労したり助けられたり幸運だったりして、イーハトーブ火山局の技師になるですね。そして、ふたたび飢饉を呼ぶ寒い気候がやってきた時に、寒さを抑えるために火山を噴火させることで命を落とす、とそんな一代記です。
で、クライマックスでもあり、最後のエピソードでもある、カルポナート島の火山を噴火させるとこが問題なのです。
原作では、火山局の工作によって噴火を成し遂げるのですが、その工作を行った最後の一人はどうしても逃げられない。そこにブドリは自分から志願して行くわけです。対して映画では、火山局では工作を行わないことが決定されていて、ブドリはなぜか出てきた山猫の裁判長に連れられて火山まで飛んでって不思議パワーで噴火させることになってる。
これは全然違う話ですよ。映画の尺とかの事情で話を端折ったのだとしても、そこを省略しちゃダメでしょう。ってか、たぶん意図的な変更なんだと、わたしは思いました。
映画のブドリは大人になってないんですよね。ネリとの再開のエピソードが削られてるのもそれを象徴してると思うし、裁判長に連れてかれるシーンが小さなネリが攫われた時と同じ演出だし。
この点が、原作で感動したところを真っ向から否定された気がしたのですよ、わたしは。原作のブドリは町へ出る汽車の中で「働きながら勉強して、みんながあんなにつらい思いをしないように、工夫したい」と言ってるのです。ものすごくぶっちゃけて粗末な言葉で言うと「立派な大人になりたい」ってことだよね。そして実際、働きながら一人前の技術者になっていく。だからこそ、寒い気候の襲来を止める手立てを考えつくことも出来たし、実践することも出来た。ただ、命を捧げたから成功したって話じゃないのだ。
本当に何かを守ったり救ったり作り上げたりする力があるのは、自己犠牲の気持ちじゃないでしょう。地に足つけて、自分の頭で考えて、実践して確かめて、ダメと思っても諦めないで、そうやって積み上げていったものが力を持ってるんだよ。特に、子どもに対してはそう言いたいし、宮沢賢治はそう言ってると思う。
いあまぁ、わたしのように40も近くなって無責任な生活してる人(映画じゃないので、猫じゃないです)が言っても説得力ないですが。